芸予地震の傷跡
2001年3月24日。私の生まれ故郷である愛媛県から広島県にかけて、震度6弱の大きな地震が起こった。当時東京に遊びに出かけていた私が地震のニュースをキャッチしたのは、夕方、ぶらりと立ち寄った古本屋から流れて来るラジオからだった。
大慌てで店を出て、携帯電話から実家に電話を掛けてみたが、なかなか繋がらなかった。何度もリトライするうちに、香川にあるガンモの実家にはようやく繋がった。状況を聞いてみると、香川での被害はそれほどたいしたことはなく、愛媛の方がひどいのだと言う。すぐに電話を切り、再び愛媛の実家に電話をするが、やはり繋がらなかった。
ようやく繋がったのは、電話を掛け始めてからおよそ2時間後の夜10時を回った頃だったろうか。とりあえず、家は何とか大丈夫だったそうだが、父も母も精神的なショックが大きいようだった。家の壁が崩れたと言っていたが、これまでに大きな地震を体験していない私には想像もつかなかった。反対に、阪神大震災を体験しているガンモは震度6弱の地震と聞いても、かなり落ち着いていた。
母は地震の当時、家の外にいて、家が左右に一メートルくらい揺れているのを見ていたそうだ。父は家の中にいたが、余りにも揺れるのでたまりかねて家を飛び出したと言う。不幸中の幸いとでも言うべきか、私の実家では瓦が割れるなどの被害はなかったのだが、近所の家ではかなりの瓦が割れてしまい、1ヶ月以上経った今でも修復のための業者待ちなのだと言う。GWに帰省したとき、実家近くの家の屋根には青いビニールシートがかけてあった。業者に直してもらうまでの間、それで雨漏りをしのいでいるのだろう。私の実家は地震のあと、屋根が浮いていることが発覚し、父が自ら屋根の上に上がり、屋根を叩いて回ったのだそうだ。
地震の直後は、余震の恐怖から、母はかなりの睡眠不足に陥ったそうだ。愛媛に住む私の友人からも、食器棚が倒れて食器が割れたなどの報告を聞いている。中には、大切にしていた思い出の品が壊れてしまったという友人もいる。四国は地震の少ない地域だっただけに、寝耳に水といった状況だったのだろう。
私の実家はおよそ22年前に建築した家であるが、現在はそこに年老いた父母が二人だけで住んでいる。父母は、家の修復のために、セメントを買って来たりして、自分達で少しずつ手を加えているのだそうだ。
地震の傷跡をカメラに収めて来たので、ここでいくつか紹介しておきたい。

大きく歪んだ台所のタイル。

洗面所のタイルも・・・。

お風呂のタイルも・・・。

物置部屋となってしまっているニ階の部屋。
傾いているので、車の修理のときに使うジャッキで突っ張らせている。

大きくはがれた二階の壁。実家ではここが一番ひどかった。

白いのは修復したあと。

地震の直後に二階に上がってみると、
壁と壁の間にある木の枠がすべて下に落ちていたそうだ。

階段の壁。