ロスト・イン・トランスレーション
ずいぶん前にDVDを借りていたのに、この三連休でようやく観ることができた映画である。東京が舞台になっていることだけは知っていたのだが、このような情緒的なストーリーが展開されるとは驚きだった。
超多忙なカメラマンである夫の仕事のために東京にやって来たスカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットと、ビル・マーレイ演じるかつての映画スター、ボブ・ハリスが、宿泊先の東京のホテルで出会う。二人とも、夫婦関係が今一つしっくり来ていないところと、滞在中の東京に今一つ溶け込めないでいるという共通点から、短時間のうちに意気投合する。感性の似た者同士は、それほど多くの言葉を必要とせずにわかり合えるといったところだろうか。
この映画の中では、外国人から観た日本が描写されている。例えば、浴室のシャワーが外国人にとってはひどく低いところ、やたらと礼をするところ、LとRの発音が区別できていないところ、カラオケ好きなところ、ホテルの室内にスリッパが用意されているところなどである。そのどれもが、日本の長所として表現されているものではない。
シャーロットは、夫の仕事については来たものの、いつも時間を持て余している。しかも、時差をずっと引きずっているのか、夜になってもぐっすり眠ることができない。また、東京のホテルで偶然出会った夫の知り合いであるにぎやかな女優のハイテンポな話題にもついて行くことができないでいる。仕事で東京にやって来たボブもまた、日本人の乗りに今一つついて行けない。自分のペースを奪われるような、自分らしさをうまく表現できていないような、そんな居心地の悪さを感じているのがわかる。テレビをつけても言葉がわからないし、時笑いの乗りも違う。更には、ボブが東京にいることなどおかまいなしにコミュニケーションを取りたがるアメリカの妻がいる。彼女はボブに対し、「日本はどう?」などと尋ねるでもなく、常に自分自身の身の回りの出来事に専念している。だから、お互いの孤独を埋め合わせるかのように、二人はごく自然に引き合うのだった。ただ、引き合うと言っても、決して男女の仲に発展するわけではなく、男女の友情が静かに育って行く。二人がベッドで横になって話をするシーンは特にいい。機関銃のようにしゃべり立てるわけでもなく、お互いが自分と合わない東京で理解者を見つけて安心し切っているのを感じる。
しかし、このように育んで来た友情も、ボブの帰国の決定により、最後のときを迎える。決して言葉にはしないのだが、お互い、離れたがっていないのが見て取れる。二人の友情にけいじめをつけるのに、何か決定的な瞬間が欲しい。そう思っていたから、ロビーでシャーロットと別れのあいさつをしたあとに、ボブは上の空だったのだ。
別れのあいさつをしたはずの二人が再びすぐに東京の町で出会い、一目もはばからず固く抱擁し合うのだが、あの抱擁は、帰国直前にボブが女性を部屋に連れ込んだからこそ成り立っているのかもしれない。もしもその出来事がなければ、二人はずっと男女の友達のままだったのではないだろうか。
旅先で肉体関係を結んでも、一時的であとに残らない関係と、肉体関係を結ばなくても、永遠に繋がるかのような固い抱擁。どんな人間関係も、双方向であるべきなのだ。この監督は、そういうことを表現したかったのではないだろうか。何故なら、この映画の中で描かれているあの抱擁以外の関係はすべて、一方通行だからだ。
私は、パートナーを裏切る映画があまり好きではないが、この映画はいやな印象を受けなかった。それは、あの抱擁の中に二人の感情のすべてが集約されているからかもしれない。
超多忙なカメラマンである夫の仕事のために東京にやって来たスカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットと、ビル・マーレイ演じるかつての映画スター、ボブ・ハリスが、宿泊先の東京のホテルで出会う。二人とも、夫婦関係が今一つしっくり来ていないところと、滞在中の東京に今一つ溶け込めないでいるという共通点から、短時間のうちに意気投合する。感性の似た者同士は、それほど多くの言葉を必要とせずにわかり合えるといったところだろうか。
この映画の中では、外国人から観た日本が描写されている。例えば、浴室のシャワーが外国人にとってはひどく低いところ、やたらと礼をするところ、LとRの発音が区別できていないところ、カラオケ好きなところ、ホテルの室内にスリッパが用意されているところなどである。そのどれもが、日本の長所として表現されているものではない。
シャーロットは、夫の仕事については来たものの、いつも時間を持て余している。しかも、時差をずっと引きずっているのか、夜になってもぐっすり眠ることができない。また、東京のホテルで偶然出会った夫の知り合いであるにぎやかな女優のハイテンポな話題にもついて行くことができないでいる。仕事で東京にやって来たボブもまた、日本人の乗りに今一つついて行けない。自分のペースを奪われるような、自分らしさをうまく表現できていないような、そんな居心地の悪さを感じているのがわかる。テレビをつけても言葉がわからないし、時笑いの乗りも違う。更には、ボブが東京にいることなどおかまいなしにコミュニケーションを取りたがるアメリカの妻がいる。彼女はボブに対し、「日本はどう?」などと尋ねるでもなく、常に自分自身の身の回りの出来事に専念している。だから、お互いの孤独を埋め合わせるかのように、二人はごく自然に引き合うのだった。ただ、引き合うと言っても、決して男女の仲に発展するわけではなく、男女の友情が静かに育って行く。二人がベッドで横になって話をするシーンは特にいい。機関銃のようにしゃべり立てるわけでもなく、お互いが自分と合わない東京で理解者を見つけて安心し切っているのを感じる。
しかし、このように育んで来た友情も、ボブの帰国の決定により、最後のときを迎える。決して言葉にはしないのだが、お互い、離れたがっていないのが見て取れる。二人の友情にけいじめをつけるのに、何か決定的な瞬間が欲しい。そう思っていたから、ロビーでシャーロットと別れのあいさつをしたあとに、ボブは上の空だったのだ。
別れのあいさつをしたはずの二人が再びすぐに東京の町で出会い、一目もはばからず固く抱擁し合うのだが、あの抱擁は、帰国直前にボブが女性を部屋に連れ込んだからこそ成り立っているのかもしれない。もしもその出来事がなければ、二人はずっと男女の友達のままだったのではないだろうか。
旅先で肉体関係を結んでも、一時的であとに残らない関係と、肉体関係を結ばなくても、永遠に繋がるかのような固い抱擁。どんな人間関係も、双方向であるべきなのだ。この監督は、そういうことを表現したかったのではないだろうか。何故なら、この映画の中で描かれているあの抱擁以外の関係はすべて、一方通行だからだ。
私は、パートナーを裏切る映画があまり好きではないが、この映画はいやな印象を受けなかった。それは、あの抱擁の中に二人の感情のすべてが集約されているからかもしれない。


0 Comments:
コメントを投稿
Links to this post:
リンクを作成